頭でっかちと心でっかち

評論家 荻上チキ氏
『僕らはいつまで「ダメだし社会」を続けるのか』を読んで
気になるワードがありました

「頭でっかち」
=社会は理性でコントロールできると考え、
自分好みの仕様に、構造を作り替えることで社会はうまくいく
と考える設計主義的発想のこと。

「心でっかち」
=何でもかんでも議論を「個人の心」の議論に還元しがち。
この思考法からは最後は、「みんながいつもよりキリッとすればいいのだ」
という結論で満足する。

例えば
「政治家がしっかり仕事をすれば社会は良くなる」
「みんなが優しくすればいじめはなくなる」
「問題の重要さにみんなが気がつけば前に進む」
などといった
何でも気持ちの問題で済ませようとする思考法を
「心でっかち」と呼ぶそうです

交通事故を減らすために

「心でっかち」思考
・ドライバーのマナー改善
・厳罰化
など

「頭でっかち」思考
・自動ブレーキの義務化
・飲酒している場合はエンジンがかからない装置の設置
など


「個人の心」に訴えるという方法以外にも
「環境」を整えることで問題可決を実現できるはずなのに
多くの人は「個人の心」に訴えることで満足します 


同様の考え方として

障がい当事者の権利等について考える
障がい運動・障がい学の中で共有されている言葉としては
「医学モデル(個人モデル) 」
「社会モデル」という考え方もあります

「医学モデル」では
障がい=健常でない異常な状態であり、
人目を避けて隔離させるか、
怪我や病気をした人と同様に治療してあげる対象」
と考えていた時代では
障がいを「個人の機能上の問題」ととらえます

すると
障がい者への対策としては
「治療、リハビリによって個人の障がいを取り除き
能力値を健常者と同様のものに戻して上げれば万事解決だ」

となります
 
「社会モデル」では
障がいは個人の身体に宿るのではなく
社会によって作り出されるものなのだ
という考え方です

その考えを元に
社会の側の構造を多様な個人が困らない形で
設計することで、その障がいを取り除こうと考えます

例えば
車いすで移動する人にとっての
障がいは、動かない足ではありません
段差が障がいなのです

スムーズに移動できる社会であれば
障がいは存在しないのです

個人の形を今の社会にあわせるのではなく
社会の形を多様な個人にあわせて作り直す

そんな考え方もあることに
驚きました

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今日も読んでいただきありがとうございます
2年前に読んだのですが
とある方の「マナーを守って欲しい」という記事を読んで
責任者ならそのくらいあらかじめ「構造的に設計」しておけよ
参加者のせいにするな!
と思ったので書いてみました
 

満足度

今日
1月24日(日)東京で実施した
「論理的思考力を鍛える勉強会」の
アンケート集計結果が

やっと 

届きました

回答数72名
全体を通して
とても満足 51名(71%)
やや満足 19名(26%)
空欄 2名(3%)

という結果でした!

聞いて下さった皆さん
本当にありがとうございました。

次回は
なんと3月?日か??

また開催日が決定しましたら
連絡します!
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今日も読んでいただきありがとうございます!
今週はついに2次試験開始です!


A or B の選択

あのときもしああしていれば…
という後悔はつきません

誰もがそのことに苦しみ悩みます

だから「選択」において
正解はありません
どちらを選んでも
事前に選ぶための理由が分からない限り
どっちを選んでも後悔します

選択する前に
それを選択する「正解の理由」がないからです

それはきっと正解なはずと
確信に基づいて行動するから
現実がまた生まれてきます

それはまさに「宗教的決断」なのかもしれません

そんなことが田島正樹「正義の哲学」に書いてあります

この人と結婚して良いのだろうか?
この人を信じて良いのだろうか?
この職場で良いのだろうか?

これらはすべて「事前に絶対的な合理的理由」は存在しません

良いと信じて
決断し
行動する
そして、
その決断が
正しかったと言えるように今を生きる

その繰り返しで世界は成り立っていると教えてくれます

傍線部C
「決断とは
それが為されてみて初めて、
実際にはそれ以外の決断があり得なかったことが
認識されるようなものだ」

の答えとしてこのようなものが選択肢としてあります

「決断とは「AかBか(Aか非Aか)」を選択する行為のように思われているが、
その選択自体は見せかけの決断でしかなく、
真の決断を回避しなかったことによってのみ
自己の行為の意味が後になって明らかになるということ。」


決断をせずに「決断を回避」している人にとって
現実は何も語りかけてきません
たとえそれが辛い現実であっても
受け止めて、

「あのおかげで今がある」
と言えるように今を生きることが大切だと考えています

「あのせいでこんなことになった」
と言っているうちは現実を受け止めてなく
何の決断もしていない状態だと考えています

おかげ
と考えるか
せいで
と考えるか

そのどちらを選択することしかできません
そのどちらが正しいわけではありません
ただどういった生き方をしたいのかが
大切なことではないでしょうか?


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次回は続きで
一歩踏み出す勇気について
読んで考えたことを伝えたいと思います
 
プロフィール

1972年 島根県 益田市生まれ
高校時代はテニスに没頭。仙台インターハイに出場。大学時代はテニスに没頭。主将としてリーグ戦を勝ち抜く。大学を卒業後、公立学校採用試験に合格せず4年間講師で県内をさまよう。その後、正式採用となり12年間島根県内の普通高校を渡り歩く。H23年4月、「プロの生き方」にあこがれて公立学校教諭を辞職。フリーの国語教師として再出発。志桜塾代表。趣味はテニス。上級指導員の資格をもつ。テニスから学んだ「機能分析」の考え方をもとに新しい国語の指導を模索している。

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